サラセニアの冬支度

先日,つくば植物園に行ってみたら,食虫植物を露地植えして栽培・展示している区画に黒っぽいテントのようなものがあるのを見つけた。どうやらそこに植えられているサラセニアの仲間に覆いをかけて保護しているようだ。冬の植物園では花こそ少ないけれど,雪囲いのやりかたなどを含め,園芸の愛好家にとって学ぶことのできる事柄も決して少なくない。

Tsukuba Botanical Garden in Winter


サラセニアの仲間の多くは北米大陸の湿地などに生育しているのだが,一口に米国と言ってもとても広い国なので,冬にとても寒くなる地域もあれば年中いつでも暖かい地域もあるし,季節の変化のある地域もあれば年中いつでも砂漠とか湿地とか同じ状態のままというところもある。

サラセニアの中には中南部の湿地に生育しているものもある。そのような種類のものについては,冷たい風を避けるようにするとか,雪に押しつぶされないようにするとか何らかの手当てが必要になるのだろう。逆に,そのようなコツを了解していれば,日本でも露地栽培が可能ということにもなる。

したがって,条件さえ合っていれば,逸出して繁殖し,帰化植物となってしまう可能性のある植物群であるということもできそうだ。きちんとした管理が必要だろうと思った。

ところで,一般に,人は,完成品を求めやすい。

ランの花にしても,誰かが心をこめて育ててやっと咲かせた花を観て「美しい!」と感嘆する人はいくらでもいるけれども,花の咲いていない葉とバルブだけの状態のものを目にすると「チェッ!」と舌打ちする人だっているだろうし,ほぼ全ての人が無関心でその前を通り過ぎることだろうと思う。

しかし,人間の人生がそうであるように,花の時期はとても短い。むしろ花を咲かせるまでの準備の時期のほうがずっと長い。何度も花を咲かせる場合であっても,次の花を咲かせるためにはそれなりの準備と世話が必要になる。

だから,人間の場合でも同じように,何度も美しい花を咲かせることのできる人は,実は,その花が咲いていない時期にこそ心血を注いでそのための下ごしらえをしっかりやっているのだということができる。

ものごと万事簡単な時代だから,誰でもかれでも果実だけを摘み取ろうとする。いわゆる「玉の輿(または逆玉の輿)狙い」といったタイプの行動がその典型と言えるだろう。人は,財産も名誉も地位も何もない状態から苦心して生活を気付きあげ,そうした長年の営みの末に人生の果実を味わうことができるようになるのだ。しかし,果実だけ欲しがって内実の伴わない人が(特に若者の中には)非常に多い。これは,強盗の心に近い心理状態と言えるだろう。いわば図体だけでかい単なる「駄々っ子」というわけだ。

いまどき「地道な努力の継続」などという言葉を発すると失笑で迎えられてしまうことが少なくない。

しかし,綺麗に花を咲かせ,美味しい果実や野菜を稔らせるためには,そのために必要となる土づくりのためだけでもじっくりと腰を据えた研究と努力と試行錯誤と数多くの失敗体験とを要するのだ。

ホームセンターで購入してきた化学薬品をまけばそれだけで足りるというわけではない。このことはあたかも「有名大学に進学さえすればそれだけで人生すべて確実」などということが絶対にあり得ないし,これまでの歴史上も一度もなかったということを想起すれば誰にでも分かることだろう。有名大学を卒業して成功している人たちは,その大学を卒業したから成功したのではなく,優秀だからこそ遊び半分に生きていても簡単にその大学に進学することができ,人生の目標が定まれば他人の何倍もの猛烈な勉強をし,就職してからも想定可能なすべての事態に備えてあらゆる努力を重ね,そして,結果として人生に成功しているだけのことだ。逆に,有名大学など卒業しても人生で多いに成功している人たちだって同じことであり,人生の中で必要なことをなすべき時期にそれを実行してきた結果として人生に成功しているのだろうと思う。目下のところ,世間の親の大半はそこらへんのところを理解していないことが多いように思う。とりわけ,名目ばかり追い続け,自分の子供にとってあるべき人生とは無関係で空疎な受験勉強を強いる親は後になって後悔することに相違ない。

私自身は,「若くて脳が柔らかい時期に何でもかんでも猛烈に勉強して吸収したほうが良い」という考えをもっている。けれども,それは自分自身が「そうすることが必要だ」と心の底から思ったときにこそそのようにできるし本当に多くのことを吸収できるのであり,もし仮にその若い時期にそのように思うことができないのであれば,親を含め他人からそれを強制してみたところで,あたかも砂漠に水滴を垂らすがごとき徒労に終わることが多いだろうと思う。

単に他人の結果だけを見てひがんだり妬んだり(逆に馬鹿にしたり軽蔑したり)するのは品性乏しく品格劣る人たちのすることだ。まともな大人のすべきことではない。古今東西,真の賢人の中には愚者で怠惰な体裁を装う者が決して少なくない。逆に,自分に自信がなく,本当は何もない人々のほうが身辺を煌びやかに飾り立て,自分の家系や地位や肩書きなどを誇示したがる。一夜成金は他人に札束を見せびらかすことが多いが,真の金持ちはどこかに静かに隠れその存在を衆人に気取られるようなことはしない。そのことを知らなければならない。要するに,他人の上辺だけを観て安易に判断するのはまさに愚者のなすべきことだと言える。

もし自分がまともな大人であるというのであれば,他人の成功例や失敗例などを謙虚に学び,自分自身にとって最も適合するようなかたちで,自分の人生にとって必要な事柄についての研究と努力とを積み重ね続けることが大事なのだろうと思う。

というわけで,この私も地道に自分の勉強を続けようと思う。

今年一年を振り返りつつ,自分自身への戒めとしてこの記事を書く。

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